サイクリング・リサイタル 解決編
言葉の意味を調べるといったら辞書でしょう。
そこで「Yahoo! JAPAN 辞書」の「大辞林」で調べてみました。
言葉の意味を調べるといったら辞書でしょう。
そこで「Yahoo! JAPAN 辞書」の「大辞林」で調べてみました。
話題の発端はこの作品を紹介しているリーフレットだった。
Amazon.co.jp: 勇者のくせになまいきだ。1&2 ジャイアント・リサイタル: ゲーム・ミュージック: 音楽
もともと作中に散りばめられたパロディセンスに定評がある「勇者のくせに~」ですが、サウンドトラックもこのとおり。サブタイトルからして「ジャイアント・リサイタル」! 笑
(そういえばひとつ前の新田雄一とMicroについての記事にも「ジャワイアン」って言葉を出したような。それはさておき…)
ところで、ここで小6の長女から出た質問。
「はーい、リサイタルってなんですか~?」
言われてみればわたしも、音楽の生演奏会の呼称を、そんなに深く考えずに「コンサート」「リサイタル」「ライブ」など、雰囲気で使い分けてた気が…
というわけで、ここはカンニングなしでわたしの勝手なイメージを書いてみることにする。
それからネットで調べて答え合わせをしようじゃないか。
天文薄明 太陽高度-12度~-18度。太陽からの光が完全になくなり、6等星が肉眼で見分けられるようになる明るさ。(Wikipedia 「薄明」の項目より)
この天文薄明の終わりから始まりまでの時間帯で、なおかつ月が出ていない時が、一般的には恒星や惑星の観測に適しているとされるのだとか。
「Marine Information Research Center」(MIRC)で調べたら、地元ではきょう3時18分には天文薄明が始まるそうです。
午前3時半より少し前。その時間ならわたしバリバリネットしてますから(汗) Blogの文章を書くとかWikiを更新するとか、なんらかの作業をしているなら、キリがいいところまでやって寝るとするか、とそろそろ思い始めるあたりです。
一方、わたしのような夜更かし癖がない方なら、普通は寝てますよね。
いずれにせよ、一般的な感覚では充分に真夜中です、まだ。
でも、太陽は地平線の18度下まで迫っていて、ほんの少しずつでも夜は確かに明け始めているのです。
こんなふうに言ってあげたいネット友達が、何人か思い当たっています。
きょうの天文薄明はまだだけどね。
こんな気分のときはsaigenjiの最新作「Medicine for your soul」がいい感じ。
できれば先述の対象者の方々にもおすすめしたいけど、みんな音楽の趣味バラバラだから無理はいいません。えへへ。
先ほど新たに2カテゴリを追加。
ひとつはessay、もうひとつはmusicのサブカテゴリに入ってます。いずれも「特定のタグのついた記事が集まったのでカテゴリ化しました」ってことで。
そのうちの1つである「verbal expressions」ネタで早速おひとつ、と。
きょう、ふと風呂上りに何の脈絡もなく思い出したんだけど
「さきの副将軍、水戸光圀公にあらせられるぞ!」
って「水戸黄門」のお約束のセリフ。
この「あらせられる」って言葉、もしかして二重敬語じゃないのかなあ、って。
二重敬語なら、黄門様といえども皇族じゃないので本来は反則じゃないですか?
それとも、二重敬語が皇族専用だったのは貴族社会の平安時代の話で、近世では武士階級でも身分の高いおかたであれば、使ってOKだったのでしょうか?
はたまた、「あらせられる」自体がそもそも二重敬語ではないということなのでしょうか?
今夜はもう眠いので、お時間のとれたときにでもゆっくり調べてみるとしますかね。
だいぶ前、握り寿司の数え方についてのエントリーを書いたことがあったのだが、先日アクセス解析ソフトからこのエントリーに検索でお越しいただいた形跡を見つけたことがきっかけで、当時参考にしていたWikipediaの記述がいまでは大幅に変わっていたことに気づいた。
長女(11歳、小6) 「ところでなんで『ショウガ』は『なまむぎ』って書くの?」
だんな&わたし 「えーっ!?!?!?」
わたし 「え、『麦』とあの字って似てるか?」
だんな 「ど、どこをどう読んだら『生麦』になるんや?」
長女 「あれっっ、ちゃうかったっけ?」
わたし 「まあ、たしかにあの字に似てる字って結構あるもんね。わたしかって幼稚園くらいまで『ショウガ』は『生妻(なまつま)』と書くと思ってたよー」
長女 「…なま、つま!?」
だんな 「まだ『生妾(なまめかけ)』のほうが似てると思う…」
おい、だんな、幼稚園児が「妾」なんて字知ってるわけないってば…
ところで、ショウガの「ガ」の字、書けますか?
ホットドック、アウトドアグッツ、ドッチボール、二段ベット、紅茶のティーバック…
どうしてわれわれ日本語圏人は「促音+濁音」を「促音+清音」にしたがるんでしょう?
ティーバックってお湯に浸すものじゃなくて下着として穿くものだよね…
これらを「正しい外来語になおしなさい」という訂正問題を国語のテストに出すとしたら何年生くらいが妥当だろう?
☆紅茶の場合「ティーバッグ」だけじゃなくて「ティーパック」という別解も一応可能っぽい。
最近読んだ2冊の本で、普通なら「着」という字を使いそうなところに、「著」という字が書いてある例を相次いで見つけました。
ひとつは仏教関係の本で「執著」、もうひとつは奈良時代を舞台にした物語の中の「著物」。誤植かと思って見直したら、同じ言葉を使っているほかの部分でも全部そんなふうに書いてあるじゃないですか。
いままでそんな用法は見たことがなかったけど、これらが正しいものとして使われているところをみると、どうも「着」と「著」の間にはなにやら深い関係があるっぽい。そのあたりを、手元の漢和辞典で調べてみたでありますよ。
(集英社 「新修 漢和広辞典」第一版第七刷[1991年]より/画数・音訓の説明等は略しました)【着】
[解字] 形声。もと、「著 チョ・チャク」の異体字。のちに著 チョ と 着チャクとを区別して、着は「きる」「つく」などの意に用いられるようになった。(以下略)
あらあら、「著」と「着」はもともと同じ文字の異体字だったのが、のちのち意味まで使い分けられるようになったってわけね。
で、個々のことばについて更に調べてみると、日常語では「執着」と書いて「しゅうちゃく」と読む一方、仏教用語では「執著」と書いて「しゅうじゃく」と読むのが普通、のようです。
わたしが読んだのは仏教関係の本だったので「執著」と表記するわけですね。
一方「著物(きもの)」のほうは、おそらく奈良時代が舞台ということで、「著」と「着」が分化する前の表現であることをイメージしてその表記を選んだのでしょう(実際に作品が発表されたのは昭和初期)。さすがにこの表記は現代語では普通使いませんので、この記事中に「著物」と書くにあたっては「ちょさくぶつ」と打って変換して「作」を消してました。著作物と著物(着物)、全然ちゃいまんがな。えへへ。
Blogで使っている言葉からキャラクターをつくってくれる「emo」なるブログパーツがおもしろそうなのでつけてみた。
明日からの成長が楽しみ楽しみ♪
具体的な記事内容について書けないのが残念だが、そのWeblogを第三者の方に特定してほしくないための配慮であることをお許し願いたい。
昨年暮れ、とあるblogで書かれていた記事が、一見いいことを書いている風に見えつつも、なんだか言葉の余白を使って誰かの批判をしているように読み取れて、僅かながらも不快に思った。そのblogは音楽系の記事が中心なのだが、実際アーティストAを批判するためにアーティストBを褒める、的な言葉遣いが時々見受けられるのは事実だった。
ところが、わたしの別の友人も同じblogを読んでいて、一緒に参加しているSNSに
「不覚にも、今回に限ってはある人(=そのblogの管理者)の日記の内容に納得してしまった」
と書いているではないか。それはまさしく先に書いた「とある記事」だった。
そこでもう一度その記事を再読してみた。
確かに裏読みすることなく言葉通りに読めば、それは納得できる内容だ。
もっと言葉は素直に読まなきゃ、と反省させられた瞬間であった。
今年はもっと「説得力のあるもの」を書けるようになりたい、そう思う。
残念ながら、わたしのような普通の主婦風情では、いわゆる「誰某の言ったことだから信用がおける」という類いの「メディア力」とやらに期待する訳にはいかない。
となると、焦点は自然と「内容」と「言葉」に当たることになる。
うちの小学生の娘たちのこと。
娘ふたりが、こわれたおもちゃのがらくたなど集めて、なにやら不条理コントみたいなごっこあそびをしていた。
曰く「年に一度開かれる市にやってきて【超ビミョー】なものばかりを売るへんな行商人と客のやりとり」という設定なんだそうだ。
その商人、役に立たなさそうなものばかりを
「おー! これ! 使えねえ~! 超ビミョー! こういうものこそ欲しかったんです!」
と、なぜか喜んで買い取っていく。
ところで、長女が演じた変な商人のセリフを見て、何か気づかないだろうか。
「使えねぇ~!」と「超ビミョー!」の取り合わせ。
「微妙」という言葉の、本来の意味からすればありえないペアである。にもかかわらず、わりと自然に聞こえるのはなぜか。
おそらく本来の「微妙」が、新しい用法の「ビミョー」に変わるまでの間に何かが変化してしまっているのだろう。
ここで、ちゃんとした国語辞典が元ネタになっているWeb辞書をひいてみることにしよう。
昨年の後半くらいから話題になっていたらしい「スルー力(りょく)」。
恥ずかしながら、わたしはつい最近になってこの言葉を知りました。
おそらく「スルー力」について真面目に書かれた「元祖」は、梅田望夫さんのblog「My Life Between Silicon Valley and Japan」に書かれた「スルー力(りょく)の重要性
」とみていいでしょう。
(実は更に「元祖」の記事があるのですが、それはあえてここからはリンクしないことにします。でも面白いので、スルー力が欠如しているあなたはぜひ梅田さんの記事からリンクを辿ってくだしゃんせ)
おそらく「スルー力」とは「自分にとって要るものと要らないものを弁別し、要らないものは見なかったことにできる能力」だと想像できます。
特にインターネット上でいう「スルー力」は、情報の受け手側から見た「ネットリテラシー」の一部と考えてもいいでしょう。たとえば極端な話、「2ちゃんねる」あたりで自分が叩かれているとして、受け入れるべき批判と、ただの愚痴というかたわごとを読み分け、後者は読まなかったことにする能力… こんな説明でわかりやすいでしょうか?
ここで難しいのは「必要と不要」を切り分ける基準。これを履き違えてしまうと大変なことになります。
極端な話ですが、たとえばもしその基準が「好き嫌い」だったりしたら「嫌いなものはスルーでいいや」な姿勢に繋がりかねません。そこまでではないにしても、本当は受け入れるべきだった批判を「筋違いな批判」とか「ただの荒らし」と思い違ってしまうなんてこと、わたしもしょっちゅうやってきました。
本当に受け入れるべきでない情報は大いにスルーすべきでしょう。でも、もしかしたら自分を伸ばすために必要なこと、必要とはいわぬまでも自分の成長に利用できることまでスルーしていないか… スルー力に必要な「フィルター機能」の再確認は、こまめにやっておいたほうがいいと思うのです。
血液からいらないものを取り除くフィルター「腎臓」が、身体に必要な糖分やたんぱく質までを捨ててしまっていることが発覚したら、病院で再検査されますよね?
ここまでは「スルー力」そのものについて書かせていただきました。
しかし「スルー力」というものがインターネット上で大きくクローズアップされる背景にもわたしは触れずにはいられません。
【大丈夫か日本語・上】骨が折れる=骨折!?大学なのに中学生レベル6割
友人である夏海さんのblogのこの記事で知ったトピックなんだけど…
「骨折り損のくたびれ儲け」も通じないかも?@メンヘラーの毒吐き(|| ゚Д゚)トラウマー
夏海さんの記事と、「iza」の元記事を読んでいて「CHECKしてしまった!」 もとい、絶句してしまったですわん。
おそらく、「iza」の記事中で、短大生達が受けていたのは「YG性格検査」またはそれに近い性格適性検査でしょう。たくさんの質問に答えて性格をチェックする検査なので、当然問題文は簡単なものでないと使えないし、そのように考えて作られているはず。
ところが、実際にはその性格検査の問題文自体にわからない言葉があるという学生がたくさん出てきたそうです。曰く
「『怠惰』ってなに」
あのー、仮に初めて見る言葉だったとしても、漢字の意味で見当はつかないんですかね? 「怠ける」とか「惰性」とかって言葉は日常的に使うでしょう?
「『骨折する仕事』が嫌なのは当たり前。違う意味があると思ったので…」
思わず昭和天皇と柔道の金メダリストの会話を思い出してしまった方、歳がバレますよ(me too!!)
この件については、教育問題としても親として考えるところがいろいろとはあるのですが、まだ意見としてまとまっているとはいえない段階なので、きょうは「ことば」の問題に限って話をつづけたいと思います。
* comments *
namancha to 荘野ジュリのデビュー前
匿名 to 荘野ジュリのデビュー前
namancha to 正月早々、誤字発見2
Moanista to 正月早々、誤字発見2
namancha to 正月早々、誤字発見2