光永亮太 (みつなが・りょうた)

1980年5月4日、東京都江東区出身。おうし座、A型。

音楽好きな両親に育てられ、幼い頃から洋楽やニューミュージックなどいろいろな音楽を聴いて育った。

4歳のとき、父親の仕事の都合で米国に渡り、イリノイ州・シカゴ近郊のSchaumburgで暮らす。現地校と日本人学校の両方を経験。小学校3年の頃 Bobby Brown が気に入ったのが彼のブラックミュージック志向の始まり。4年2学期も終わり近い1990年12月、帰国。区立明治小学校に編入する。

区立深川第二中学校1年でジェフ市原のジュニアユースに入り1年間在籍。
退団後、短期間三菱養和に在籍したのち、中学の陸上部に入部。三種競技Aで東京都中学記録を更新したり*1、全国中学校体育大会で優勝したり、走幅跳でも1995年の中学リスト1位*2をマークするなど活躍。

1996年、深川二中を卒業、東海大学附属浦安高等学校へ進学。高校でも八種競技で1年生限定の歴代ランキングに入る*3などの活躍を見せたが、思いを寄せた女の子に歌をプレゼントしたのがきっかけで音楽界入りを真剣に考えるようになり、陸上競技を離れてオーディション受験やデモテープ制作を始める。

オーディションを受けては落ち、デモテープを作っては返されること数限りなし。*4しかし、努力の甲斐あって2000年夏、パパドゥ音楽出版に籍を置き、デビュー準備開始。Stevie Wonder の「Lately」と、Seal の「Kiss from a Rose」をカヴァーしたデモテープが関係者の手にわたったのがきっかけで、2002年4月、ミニアルバム「Changes」でインディーズデビューを果たした。

2003年2月にドラマ「いつもふたりで」の主題歌 「Always」でメジャーデビュー。同年7月にアルバム「Inside My Heart」をリリース、秋には全国5箇所のライヴツアーを回った。*5
2004年9月には2枚目のオリジナルアルバム「INDEPENDENT」を発表。

これまでに(2006-09-15現在)インディーズ・メジャーを合わせてシングル7枚、ミニアルバム1枚、オリジナルアルバム2枚、ベスト盤1枚がリリースされている。
2007年1月にはトリビュート盤「Tribute to Eric Clapton」にも「Change the World」で参加。この曲も、デビュー前に事務所やレコード会社に送ったデモテープで歌ってきた思い出の一曲である。

メジャーデビュー後は、各種イベントライヴ・学園祭・オムニバスライヴにも多数出演。
特に2003年5月には佐藤竹善がプロデュースする「CROSS YOUR FINGERS」に、また2004年12月には塩谷哲プロデュースの「Saltish Night Vol.8」に出演している。

2006年春には、ギター・山口周平、パーカッション・notchと共にユニット「URBAN NATURE」を結成。
6月21日、六本木・morph tokyoで行われた「Before the dawn mouitido」に出演、これが URBAN NATURE としての初ライヴとなった。8月4日には下北沢440で行われた「 "Off the Record" productions Vol.5」に出演。このライヴは亮太の兄・泰一朗が主催するもので、このとき待望の「兄弟共演」が初めて公式に実現した(シークレットゲストとしては、2005年10月の「"Off the Record" productions Vol.1」がある)。

2008年夏にパパドゥ音楽出版、ポニーキャニオン両社との契約を終了。フリーとなる。
2008年10月31日、ワンマンライブ「Chapter」の席上でこのことを公表。 *6

私生活では、2009年9月27日付で幼馴染みの女性(芸能界・音楽業界の関係者ではない)と結婚した。

[ into the brightness ]


*1 平成7年5月28日、地域別区部東大会で出した記録。このときの記録は 100m走:11"3、砲丸投:14m03、走高跳:1m79の3082点。
2004年3月いっぱいで三種競技が廃止されたため、この記録はもう破られることはない。

*2 年間ランキング1位のこと。10月22日に6m93cmを記録
*3 1996年6月1〜2日の千葉県高校記録会で5011点を記録。1999年3月の時点でまだ1年生歴代5位だった。なお、2006年に八種競技に使われる砲丸の重さに変更があったため、現在の高校生の記録との単純比較は不可能である // special thanks to やまピーさん
*4 この間に東海大浦安高を卒業し、亜細亜大学経済学部へ入学した。大学には3年まで通ったのち中途退学している。大学時代のあだ名が「テディベア」だったとか、スペイン語の授業をとっていたなど、大学生活への言及も時折なされていることから、在学中は概ねきちんと通っていたと思われ、退学の理由も音楽活動への専念のためと推測される
*5 名古屋・福岡・札幌・大阪・東京
*6 新しいファンレター・プレゼントの送り先については近々質問しますのでしばしお待ちを