本人及び某親族(バレバレ)が公の場で暴露(!?)した、泰一朗くんのいろんなエピソードをまとめてみました。
たいちろうくんは幼い頃、弟のりょうたくんの頭をバットでどついてたんこぶをこさえてしまったことがある。
そのたんこぶは今でも残っていて、弟はこの夏北海道のラジオでしっかり暴露していた(笑)
(北海道放送 「ベスト10ほっかいどう21」 13-Jul.-2003 放送分/情報:ラブちゃん)
2003年10月、この件について、たいちろうくんより公式見解が発表された。 笑
たいちろうくんによると、これは喧嘩ではなく過失だったそうな。
弟は・・・。
留守電聞いたよ。 ありがとう。
けれどあんまり妙な噂を流さないように。 笑
あれは三振を勘違いして振り切ったバットが「たまたま」当たっちゃったんでしょ。 笑
殴るという日本語の意味は、少し違います。 笑
(COVER OFFICIAL WEBSITE 「FROM MEMBER」 FROM MITSUNAGA TAICHIRO #07 より)
……だそうな。
「ベスト10ほっかいどう」収録当時(30-Jun.-2003)のりょうたくんは、夏風邪による高熱にもかかわらず、点滴をうっての出演だった。
これはあくまでも想像だが、もしかして彼は「いえ、喧嘩じゃないんですよ」とつっこむ気力もなかったのかもしれない……
2003年11月、「真の被害者はぼくです」という、たいちろうくんの小学校1−2年・中学3年時の同級生から、COVERファンサイト(当時)「Vitamin C」の掲示板に書き込みがあった。
彼の話によると事件が起こったのは渡米前、たいちろうくんが小学校2年のとき。近所のお寺の境内で、その同級生くんはキャッチャーをやっていて、たいちろうくんの三振バットがおでこの真ん中に命中。小学生の野球ごっこであるからマスクなど当然しているはずもなく、同級生は病院へ直行、翌日学校を休むほどのけがであった。同級生を気遣ったたいちろうくん、ちゃんとお見舞いにも行ったそうである。
とすると、現にりょうたくんの頭に残っているたんこぶはどうやって発生したのだろう。事件はまたまた迷宮入りするのであった!?
時は過ぎて2005年10月。 たいちろうくん本人がblogへのコメントで告白したところにより、「似たような過失が原因で、同級生にもりょうたくんにもおでこにたんこぶを作ってしまった」ことが判明。 つまりたいちろうくんのたんこぶバット事件は2度発生していたのであった。
こうして「光永兄弟たんこぶ事件」は2年3ヶ月をかけてようやく解決したのである。 笑
もう、この兄弟のエピソードといえばクッキーでしょう。(笑)
ファンの間では既に有名なシカゴ時代のエピソードですが、改めてこちらで復習してみます?
「甘いもの食いてえな〜亮太。亮太ブー。」亮太ブーって呼ばれてたんですけど。
(CBCラジオ「My Dear Songs」5-Feb.-2005 放送分より/marieさんのレポートを参考にさせていただきました。なお2003年以前にも「Mellow2」あたりで似たような発言があったとのこと)
ということでたいちろうくんは弟を「りょうたブー」って呼んでたそうです。
「Thanx& A Happy New Year!!」で公開された幼い頃のりょうたくんのほっぺが、まだあかちゃんのようにぽっちゃりしていたことを思うと「りょうたブー」もちょっぴり納得?
でもこのあと「幼児」から「少年」に成長した彼は、スポーツライターの宮地陽子さんに「亮太くんはとにかく小さくて細かった覚えがあります。」といわれるようになり、中学を卒業する頃には
中学のとき以来会ってないけど
喋り方とか笑い方とか同じだー。
そして、緊張した時の顔も同じ。
変わってない!!!
と元同級生が評するように(ピナのひとりごと(旧))、見た目はほとんど大人になっていたのでした。
Kamasami Kong(以下K):子どもの頃はどんなアーティストを聴いてたの?
Ryota Mitsunaga(以下R):たくさんいますね…… Phil Collins, Wham, Bobby Brown……
K:Whamではどの歌が好き?
R:「Club Tropicana」。ワクワクする曲なんで。あと、Bobby Brownは…… 初めて買ったアルバムが、彼の「Don't be cruel」なんですよ。
(FM802 「NitEscape 802」 8-Sep.-2004 放送分より/聞き書き&和訳:yagitaicho さん〔「AMANDLA!」より〕)
そんなシカゴのお子ちゃま時代、兄弟ふたりしてWham!の曲を振り付けつきで歌っていた秘蔵映像なるものが家にあるらしい。(FM愛知 マジカル・ジャンクション 9-Dec.-2003 放送分より/情報:楓さん/ひよりさんのサイトに書かれたレポートを基にしています)
一方、たいちろうくんの側からも、ラケットをギター代わりにふたりして歌っていたとの証言が得られている( bayfm「Tuning Tuesday」 12-Oct.-2004 放送分より/情報:ミッキーさん/SHIHOさんのサイトに書かれたレポートを基にしています)。
(同様の発言はりょうたくんも雑誌で何度かしていたと思われる。出典確認中)
その後、りょうたくんは2003年秋から初冬にかけて行われた初めてのライヴツアーで、5会場中札幌・大阪・東京の3会場のアンコールに「Last Christmas」を歌っている。 東京のはたいちろうくんもちゃんと生で聴いたそうな。
これ(Atlantic Starr「Always」)はめちゃめちゃ名曲ですから、僕も大好きで、小さい頃よくアニキとデュエットしてたんですけどね。男性と女性なんですけど、アニキがね、自分のキーにしっくり合うからって言って、男性の方を歌って。どう考えても出ない女性のところを、「お前、りょうたやれ」って言われて、声ひっくり返りながら(笑)歌ってたっていう、そんな曲ですけどもね。
(中略:リクエスト者の紹介と曲)
今でも家族でカラオケに行くと、アニキとおふくろがこの曲を熱唱しますけどね(笑) 僕が小学校1年生、ビックリマンチョコを集めていたときに聴いていたナンバーでした。
(CBCラジオ「My Dear Songs」15-Jan-2005 放送分より/marieさんのレポートを参考にさせていただきました)
しかし、むりやり女性ヴォーカルパートを弟君に歌わせるとはどういうおにーちゃんやねんっ! 爆 もっとも、りょうたくんが1年生ということは4足してたいちろうくんは5年生。そろそろ声変わりがやばい時期だったのかも。りょうたくんが長じて同名異曲のCDを出し、しかも大ヒットになろうとは、誰も想像できなかった頃のおはなしであります。それにしても、アメリカでもビックリマンチョコは手に入ったのね。
そんなシカゴでの生活は、やはり日本と同じように縦横無尽にうろちょろというわけにはいかなかったようだ。こちらはたいちろうくんの証言から。
で、小学生だった僕は、完全スクールバス通学制だったので、学校から帰ると地域のサッカーチームの練習か、弟と外でバスケ10番勝負か、家でテレビや映画を観ることぐらいしかやることがない・・・。 そんな中で決まって僕が選んでいたのがこの「HELP!」や、同じくビートルズの「A HARD DAY’S NIGHT」だったんです。あ、あと「FOOTLOOSE」笑
(Lady's Information Network 凛 「青い休日」 2-Feb.-2005 「HELP!」より)
バスケ10番勝負って、やっぱり負けたほうがクッキーを買いに行くの刑なんでしょうか。 笑
ちっちゃい頃アニキと同じ部屋だったので、2段ベッドだったんですよ。アニキが下、僕が上だったんですけど。それで下からドンドンドンドン蹴られたりとかね、それはそれは見苦しいもんだったんですけどね。
(CBCラジオ「My Dear Songs」5-Feb.-2005 放送分より/marieさんのレポートを参考にさせていただきました)
2段ベッドで窮屈な思いをした2人兄弟(姉妹等含む)は少なくないに違いない。そうか、光永兄弟もそうであったか。
「(サミュエル・L・ジャクソンは)滑舌はあまり良くないし汚い言葉を使うセリフも多い人だけど、ああいう汚い英語を聞くと逆にほっとするんです。昔、兄貴とケンカする時に自分自身も使ってた言葉だから(笑)」
(Flying Postman Press 2004年9月号 Vol.62より)
なるほど、シカゴ時代の兄弟げんかは英語だったのか。これは面白いことを聞きました。
でも(りょうたくんが)高校生くらいになって、ようやくけんかも対等くらいになってですね、アニキも大学生くらいになって落ち着いて、仲良かったんですけども。でもけんかするとね、家中めちゃくちゃでしたね。2人ともパーカーみたいの着てても、パーカーがびりびり破れちゃうんですよ。お袋が泣きながらやめてやめてって叫んでるしね。大変なもんでしたね。
(CBCラジオ「My Dear Songs」5-Feb.-2005 放送分より/marieさんのレポートを参考にさせていただきました)
うわー…… お母様も止めに入れない喧嘩だったとはその壮絶さが伺える(苦笑) しかも英語の放送禁止用語入り!?(時制がたぶんごっちゃになってます)
ところで、たいちろうくんが、初めてりょうたくんとの喧嘩に負けたのはいつ頃のことだったんだろう。
さてと、大人になって既に一人暮らしをはじめているりょうたくんに、深川の実家から電話がかかってきた。
まぁ両親の住む深川の実家というのはね、この前何か電話かかってきて。
「ちょっとウチ来て!」
って言うから何かと思ったら、麻雀やろうって言うんですよ!(爆)家族麻雀。
うん、兄貴とね、お袋と、まぁ、兄貴の友達と四人で。 笑
訳わからず何かと思ってビックリしたら、麻雀デスからね……
もう、なんだよ!! って言うね……
(BayFM「Mellow2 12-Sep.-2003 放送分より/聞き書き:ひよりさん)
そう。何事かと駆けつけた深川ではおかあさん、たいちろうくん、その友人の3人が待ち構えていた。ひとり足りない麻雀卓とともに……
りょうたくんの麻雀の腕前は大阪の某ヴェテランDJにいわせると「へたくそ!」なんだそうだが、その一方で必ずしもそうではない、結構強いよ、という情報もあるらしい。*1
そんなわけで、たいちろうくんはときどき深川に帰ってくるりょうたくんとたまに公園に出かけてボールを蹴って遊んだりするそうだ。東京都江東区周辺で、片や色白、片や浅黒い、長身でもみあげの長いオトコマエふたりがサッカーボールで遊んでいたら、もしかしてもしかするかもしれない。
(北海道放送 ベスト10ほっかいどう21 13-Jul.-2003放送分/情報:ラブちゃん)
誰ですか、お兄ちゃんが松嶋で弟が中島とか口走ってる奴は!? 笑*2 確かに2005年10月にたいちろうくんのblogで公開された兄弟ツーショット写真を見ると、ほんとに男性版オセロである。笑
そういえばたいちろうくんもりょうたくんもフットサルが好きで、対戦先のチームには「やな兄弟」だという声もあがるとか。
しかし、たいちろうくんのりょうたくん評はなかなか厳しく…
R・Mさんとは、「フットサルに於いて足はめちゃめちゃ早いけど著しく決定力不足のセンターフォワード」と専ら噂のあの方ですか?? (「久々にシリーズ復活!!」 より)
こうなったらりょうたくんの「フットサルプレイヤーとしての」たいちろうくん評も聞いてみたいところである。笑
しかし、今でこそ間違いなくたいちろうくんが白、りょうたくんが黒のオセロ兄弟だが…
黒い…かな?どこにも行ってないと思うけどね。昔は僕の方が黒かったのになぁ。謎です。(『「またトップに食べ物写真??」って言わな〜い。』 より)
亮太のブログにも書いてありましたが、彼やっぱり黒いです。笑
でもね、何度も言うけどこの頃は僕も色黒なんですよ。
もしかしたら亮太よりも。
時が経つにつれて、
亮太はそのままの色を保って、
僕だけが何故か漂白していってます。
バスケ部だったのも大きいのかな。屋内スポーツだから。(『正解っ!』より)
あのりょうたくんより黒いたいちろうくん。想像できますか?
ヒロ福地(以下「福」):まあ、NORTHで光永ってゆうと光永亮太くんね。
光永泰一朗(以下「泰」):ハハ……
福:あのー、番組担当したりしていましたんで、知ってる方多いと思いますが。えー、実はまったくあのー、同じ名字なんですが全然縁もないそうで。
泰:そうなんですよね。関係無いんですけどね、よく間違えられて。
福:アニキでしょっ。
泰:ハハハ、すいません。実のアニキです。
(FM NORTH WAVE 「Morning Line」/聞き書き:ラブちゃん)
でましたね。ヒロ福地さんのボケにそのままのっかってしまう「ノリボケ」技が冴えたたいちろうくん……。
自らのweblog「Off the Record」で「印象に残ったライブ」のコメントを募った。 その中で、弟・りょうたくんのライヴを挙げた人たちへの回答集。
なるほど、「奴」ですかあ。笑 あのライブはちょっとウルッときましたね。確かツアーファイナルで、彼も色んな事を思い出して感極まったんでしょう。それが無性に嬉しかったし同時に羨ましくもあったのを覚えています。これからも兄弟共々よろしくお願いしますね!!!
おおっと、またしても身内?を挙げてくださってありがとうございます。笑
たくさんの方が書いてくれてるけど、兄としては「ニンマリ」、歌い手としては「ナニクソ」的な思いでございます。笑 しっかり届いているんだなあなって感慨にふけったりもしてます。
そして亮太の話題が出ることについて、僕は何の嫌悪感もありません。むしろ有り難いことです。公には対話したり、競演したりということはまだありませんが*3、そこは血を分けた実の兄弟。ライバルともチームとも少し違う、もう少し超越した関係の存在です。
(「思うところあって、みなさまへ。」より)
→五目あんかけ焼きそば@into the brightness をご参考までに。
たいちろうくんが、りょうたくんからの誕生日祝いにもらったというヘッドフォン。
音の解像度がたいへん良いため、音楽鑑賞用よりは音を創る立場のためのヘッドフォンとして人気がある。
りょうたくん自身と、最近兄弟双方が仲良くしているしゅうへいくんも愛用しているため、たいちろうくんのものには「S」の文字に縦線が2本ひかれて「$ONY」になっている。(「そんな時こそ微笑みを」より)
2008年にはちょっと派手めなスニーカーのプレゼントも。
…なんのかんのとここで要約を書くよりとにかく被害者(?)たいちろうくんが綴った原文を読んでください。
笑うのも首をかしげるのも泣くのもご自由に。
でも、後が怖いかも!?
hour | Taichiro | Ryota | |
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JST(日本時間) | CST(中部標準時:DST中) | ||
20-Sep.-2009 | 19-Sep.-2009 | HOME SWEET HOME。 | |
20-Sep.-2009 | 行って来ます! | ||
着いた〜!! | CHICAGO到着!! | ||
21-Sep.-2009 | リアルタイムシカゴ Vol.2 | ||
21-Sep.-2009 | シカゴ旅行記Vol.2。 | ||
22-Sep.-2009 | リアルタイムシカゴ Vol.3 | シカゴ旅行記Vo.3。 | |
シカゴ旅行記Vo.4。 | |||
22-Sep.-2009 | シカゴ旅行記Vo.5。 | ||
23-Sep.-2009 | リアルタイムシカゴ Vol.4 | シカゴ旅行記Vo.6。 | |
23-Sep.-2009 | リアルタイムシカゴ Vol.5 | シカゴ旅行記Vo.7。 | |
24-Sep.-2009 | リアルタイムシカゴ Vol.6 | ||
24-Sep.-2009 | リアルタイムシカゴ Vol.7 | シカゴ旅行記Vo.8。 | |
25-Sep.-2009 | リアルタイムシカゴ Vol.8 | ||
25-Sep.-2009 | リアルタイムシカゴ Vol.9 | シカゴ旅行記Vol.9。 | |
26-Sep.-2009 | 26-Sep.-2009 | ただいま〜 | |
27-Sep.-2009 | 遅くなりましたが。 |
(日本時間との対応はblogの更新時刻を参照しているので間違っていないはずですが、米国中部時間との対応がおかしい場合はご指摘をお願いします)
「また追い越したな。」
はっきり言って、これを読まないファンはもぐり。笑
兄弟のどちらか片方のファンも必読ですぜ。
このコンテンツが始まった頃はほんとうに「夢」だった兄弟競演。
しかし、2005年のシークレット出演に始まり、2007年12月には亮太のライブへの泰一朗のゲスト出演、2008年4月には亮太のソロ名義でのオフレコ出演、2009年4月には兄弟自身も待望していたに違いないふたりの名義でのイベントが実現。
ここには書いていないCD上での競演なども増えており、さらなる兄弟コラボ活動の活発化は今後も期待できるであろう。